オノマトペとは、基はフランス語が語源で日本語では「擬声語」また「擬音語・擬態語」
と訳され、動物の鳴き声、自然の音、物の様子、動作、感情等を表す言葉として使われ
特に「擬態語」の語彙が数多く存在するのが日本語の特徴でもある。
金田一春彦によって日本語のオノマトペは次のように体系化されている。
#擬声語・・・人間や動物の声 (ワンワン、ニャーニャー)
#擬音語・・・自然界の音 (ザーザー、ゴトゴト)
#擬態語・・・無生物の動き、様子(キラキラ、ツルツル)
#擬容語・・・生物の状態 (バタバタ、ブラリ)
#擬情語・・・心理の状態 (ワクワク、ドキッ)
これらの日本語におけるオノマトペは約1000語以上存在すると言われる。
日本語以外にもオノマトペは各言語において存在するが極めて数は少ない。
おそらく欧米人は状態や感情をボデイランゲージを通して直接表現するが、日本人は
それを言葉に置き換えて間接的に表現するのが得意であるからだと思う。
又、それが日本人のアイデンティティを形成しているおおきな要素だと思われる。
余談ではあるが、日本におけるオノマトペの存在は歴史的にも古くは「古事記」にも
登場している。
上巻-2の伊邪那岐命と伊邪那美命の章で「鹽許々袁々呂々邇・・」
(海水をコロコロと掻きまわして・・)と記述がありまさにコロコロはオノマトペである
文字と書
象形文字特に「漢字」の基が約4000年前に中国黄帝の史官「倉頡」 (そうけつ)が作り出したといわれていて、今も唯一存在している。 また、西暦340余年頃の東晋に活躍した「書聖:王 義之」の書体を 今も書道のお手本として使用。50余年書道に携わり改めてその事に 気づき、基本に立ち返ろうと「耳従」を前に一念発起しました。
2019年2月3日日曜日
2019年1月24日木曜日
巳亥
#『説文解字』では、「荄也。十月,微陽起,接盛陰。従二,二,古文上字。 一人男,一人女也。从乙,象褢子咳咳之形。《春秋伝》曰:“亥有二首六身。”凡亥之屬皆从亥。」と記されており、和訳すると次のようになる。
「根である。十月、微かに陽気が起こり、盛況な陰の気が接する。“二”から派生し、“二”という文字は古文における“上”の字と同じである。(“二”の下に描かれているのは人という字であり、)一人(右側?)が男、一人(左側?)は女である。これらは“乙”という文字から派生した。 (左側の人という字は)子を抱えており、咳咳(屈みこむ)形に象る。《春秋伝》では、“亥は二つの頭部と六つの身体を有する”」という意味になる。しかし、上記の『説文解字』の解釈に対して、多くの辞典は『説文解字』を支持せずに、「亥」の解字は“豚やイノシシを象った漢字である”と記している。
その中で白川静の説は「獣の形。祟りをもたらす呪霊を持つ獣を横から見た形」と解釈されている。甲骨文や金文で描かれた「亥」という漢字の字形を見ていただくと、甲骨文の上部に描かれた一本の横線が、金文では二本の横線あるいは一つの点と横線に変化していることが確認できる。
ところで、部首が「二部」の漢字を題材にした記事で幾度か書いているのだが、この「二本の横線」というのは“天”と“地”を表現したものである。
甲骨文では一本の横線で地面を示していたが、それをより明確に指し示すために、金文では「二本の横線」で“天”と“地”を表すようになったのだ。
そして、「亥」という漢字は、「二本の横線」で示した“天地”の“地”の部分から下に伸びる線を描いて、植物の根を指し示しているのだ。
ゆえに、「亥」は、植物の根を象ったものと“天地”を表す二本の横線を成り立ちとする漢字であり、六書は“象形”ではなく“指事”文字に分類する。 また、『説文解字』で「(左側の人という字は)子を抱えており」という表現は、植物の根や地下茎といった地下に伸びた部分が肥大化して養分を蓄えた器官である芋をたとえているのである。
・芋は秋の季語でもあり、芋の収穫を終えた時期が「亥」の月、今の11月
その中で白川静の説は「獣の形。祟りをもたらす呪霊を持つ獣を横から見た形」と解釈されている。甲骨文や金文で描かれた「亥」という漢字の字形を見ていただくと、甲骨文の上部に描かれた一本の横線が、金文では二本の横線あるいは一つの点と横線に変化していることが確認できる。
ところで、部首が「二部」の漢字を題材にした記事で幾度か書いているのだが、この「二本の横線」というのは“天”と“地”を表現したものである。
甲骨文では一本の横線で地面を示していたが、それをより明確に指し示すために、金文では「二本の横線」で“天”と“地”を表すようになったのだ。
そして、「亥」という漢字は、「二本の横線」で示した“天地”の“地”の部分から下に伸びる線を描いて、植物の根を指し示しているのだ。
ゆえに、「亥」は、植物の根を象ったものと“天地”を表す二本の横線を成り立ちとする漢字であり、六書は“象形”ではなく“指事”文字に分類する。 また、『説文解字』で「(左側の人という字は)子を抱えており」という表現は、植物の根や地下茎といった地下に伸びた部分が肥大化して養分を蓄えた器官である芋をたとえているのである。
・芋は秋の季語でもあり、芋の収穫を終えた時期が「亥」の月、今の11月
・い(亥)、十二支の十二番目。猪にたとえる。
・時刻は21:00~23:00、月は陰暦10月、今の11月、方角は北北西。
2019年1月1日火曜日
漢字の起源
漢字の起源
一般に漢字の起源は三皇五帝の神話時代の黄帝の代(B.C.2510~2448)
に吏官の倉頡が砂浜を歩いた鳥の足跡を参考に作った鳥跡文字とされる。 (説文解字)
に吏官の倉頡が砂浜を歩いた鳥の足跡を参考に作った鳥跡文字とされる。
又、易経によれば聖人が漢字を作ったと記述されている。
最近では、約6000年前の半坡遺跡で、50種あまりの符号が発見され、
それには一定の規律があり、簡単な文字の特徴を持っている。
「これは漢字の萌芽である可能性が高い」と専門家たちは見ている。
#半坡遺跡は紀元前5000~4500年の住居址で,堀を巡らした環濠集落
考古学的に現存する最古の漢字は、殷に於いて卜の結果を書き込むために使用された(亀甲獣骨文)、殷墟から発掘される甲骨などに刻まれた甲骨文字である。
その内容は殷王朝第22代武丁(紀元前1600頃-1046)の頃から書かれた
ものであり文字として使用できる漢字が出来上がったのは約3300年前の
この頃だと考えられる。
ものであり文字として使用できる漢字が出来上がったのは約3300年前の
この頃だと考えられる。
絵に近い象形ではあったがすでに指示文字や会意文字も存在していた。
その後、青銅器に鋳込まれた金文という文字が登場し商(殷)時代末期から戦国時代まで約1200年ほど使われた。
金文 は東周・春秋戦国時代に生まれ、大篆(籀文)とも呼び
中国最古の石刻であり、周が混乱の時代を迎えると漢字は各地で独自の
発展を遂げ春秋戦国時代には、地域ごとに通用する字体、意義、形等の
抽象化が進み複雑になっていった。
金文から石鼓文を経て次に現れてくる小篆文字は秦が全国を統一すると
今までばらばらであった文字の字画、また書の表現も統一された。
今までばらばらであった文字の字画、また書の表現も統一された。
秦の始皇帝(B.C.246~210)の命で李斯が大篆を基礎に省略して作った
字体を篆(小篆)と いう。
これが皇帝や官僚の使用する正式な書体とされた。
字体を篆(小篆)と いう。
これが皇帝や官僚の使用する正式な書体とされた。
漢代に入り難解で使いにくい書体の小篆を簡略化し成立した文字を
隷書といい毛筆の発達と共に生まれた。
隷書といい毛筆の発達と共に生まれた。
蔡倫によって蔡候紙が生まれ紙の発展と共に書物や石碑が多くなり
次第に走り書きした書が草隷と呼ばれこの隷書を早書きし最も
簡略化の進んだ文字が草書になった。行書は隷書をやや連書きし
中から生まれてきました。
次第に走り書きした書が草隷と呼ばれこの隷書を早書きし最も
簡略化の進んだ文字が草書になった。行書は隷書をやや連書きし
中から生まれてきました。
後漢の第4代皇帝、和帝のとき(紀元100年/永元12)に許慎により
説文解字(最古の部首別漢字字典)が編纂され、成叙1篇、本文14篇。
所載の小篆の見出し字9353字重文1163字を収録。漢字を540の部首に
分けて体系付け、その成り立ちを
「象形・指事・会意・形声・転注・仮借」の6種(六書;りくしょ)
に分けて解説し字の本義を記す。
説文解字(最古の部首別漢字字典)が編纂され、成叙1篇、本文14篇。
所載の小篆の見出し字9353字重文1163字を収録。漢字を540の部首に
分けて体系付け、その成り立ちを
「象形・指事・会意・形声・転注・仮借」の6種(六書;りくしょ)
に分けて解説し字の本義を記す。
また楷書は一点一画を明瞭に書く書体で草書や行書より少し遅れて
成立しました。
成立しました。
楷書は三世紀中ごろには成立し、科挙制度の発展と共に「正字」という
由緒正しい文字が求められ、その後現在まで正式書体として
使用され続けた。
宋代には、木版技術が発展し楷書を基礎に「宋朝体」が誕生し
後の明・清代には「康煕字典」が編纂され「明朝体」も生まれた。
由緒正しい文字が求められ、その後現在まで正式書体として
使用され続けた。
宋代には、木版技術が発展し楷書を基礎に「宋朝体」が誕生し
後の明・清代には「康煕字典」が編纂され「明朝体」も生まれた。
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