2019年1月1日火曜日

漢字の起源


漢字の起源
一般に漢字の起源は三皇五帝の神話時代の黄帝(こうてい)の代(B.C.25102448
吏官の倉頡(そうけつ)が砂浜を歩いた鳥の足跡を参考に作った(ちょう)(せき)文字とされる。(説文解字)
又、易経によれば聖人が漢字を作ったと記述されている。
最近では、約6000年前の半坡(はんぱ)遺跡で、50種あまりの符号が発見され、
それには一定の規律があり、簡単な文字の特徴を持っている。
「これは漢字の萌芽である可能性が高い」と専門家たちは見ている。
半坡遺跡は紀元前50004500年の住居址で,堀を巡らした環濠集落
考古学的に現存する最古の漢字は、に於いてうらないの結果を書き込むために使用された(亀甲獣骨文)、殷墟いんきょから発掘される甲骨などに刻まれた甲骨文字である。
その内容は王朝第22武丁(ぶてい)(紀元前1600頃-1046の頃から書かれた
ものであり文字として使用できる漢字が出来上がったのは3300年前の
この頃だと考えられる。
絵に近い象形ではあったがすでに指示文字や会意文字も存在していた。
その後、青銅器に鋳込まれた金文という文字が登場し商()時代末期
から戦国時代まで約1200年ほど使われた。
金文 は東周・春秋戦国時代に生まれ、大篆(だいてん)(ちゅう)(ぶん)とも呼び
中国最古の石刻であり、周が混乱の時代をえると漢字は各地で独自の
発展を遂げ春秋戦国時代には、地域ごとに通用する字体、意義、形等の
抽象化が進み複雑になっていった。
金文から石鼓文を経て次に現れてくる小篆文字は秦が全国を統一すると
今までばらばらであった文字の字画、また書の表現も統一された。
秦の始皇帝(B.C.246210)の命で李斯が大篆を基礎に省略して作った
字体を(小篆)と いう。
これが皇帝や官僚の使用する正式な書体とされた。
漢代に入り難解で使いにくい書体の小篆を簡略化し成立した文字を
隷書いい毛筆の発達と共に生まれた。
蔡倫によって蔡候紙が生まれ紙の発展と共に書物や石碑が多くなり
次第に走り書きした書が草隷と呼ばれこの隷書を早書きし最も
簡略化の進んだ文字が草書になった。行書は隷書をやや連書きし
中から生まれてきました。
後漢の第4代皇帝、和帝のとき(紀元100年/永元12)に許慎により
説文解字最古の部首別漢字字典)が編纂され、成叙1篇、本文14篇。
所載の小篆の見出し字9353重文1163字を収録。漢字を540の部首に
分けて体系付け、その成り立ちを
「象形・指事・会意・形声・転注・仮借」6(六書;りくしょ)
分けて解説し字の本義を記す。
また楷書は一点一画を明瞭に書く書体で草書や行書より少し遅れて
成立しました。
楷書は三世紀中ごろには成立し、科挙制度の発展と共に「正字」という
由緒正しい文字が求められ、その後現在まで正式書体として
使用され続けた。
宋代には、木版技術が発展し楷書を基礎に「宋朝体」が誕生し
後の明・清代には「康煕字典」が編纂され「明朝体」も生まれた。

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